バカにすることで得られること
バカにすることで得られること、に、自尊心があるとして。でも、バカにすること、で、自己愛はついてこない気がするんですよ。
ですから、バカをバカにして、自分を保ったり、アイアンデンティティ(鉄の自己)にしたり、頭のいい仲間へのエクスキューズにする必要はないのではないか、と思う次第でございます。
だいたい大学なんて出ているのは、金持ち・頭のいい人である場合が多いわけで(ファイト!
yuki)、バカを排除するための装置なんですよ(久米(タコージ)・ルルーシュからの伝言「ありがとう」結晶構造の決定、自己相似の増殖とか相転移とか)。
じゃあ、そんな大学(など)の価値は、バカを手助けすることじゃないかと思うわけですね。それがないのなら、やっぱり、それらはバカを落とすふるいでしかなくて、そんなもんはこわさなくちゃならんわけです(少女革命・相対確率ウィキ)。
https://twitter.com/NATROM/status/288435495191592961
つまりは、頭がいい状態って言うのは、頭が悪い状態を認識しにくく、理解するのが難しく、共感しにくく、事情を察することが不得手な状態でもあるわけですね。
では、そんな状態にあり、状況にある頭のいい人に対して、どうやって説明していけば、頭がいい人たちが頭の悪い人たちの手助けをすることは当然のことなんだ、と言うことに同意してもらえるのんかということですが……。
頭が悪くて考え付かんのです。それでも考えて考えて。
一つは、バカをいろんな言葉で表してみる。知的な興味を持つことが多い頭のいい人に有効な方法じゃないでしょうか。
一つはDQN魚雷みたいなんとかテロる。まともな方法じゃ、弱い方が負けるんで反則技を。
一つは、バカを手助けしてうまくいくという成功体験をつませるという方法。役立つ自分は気持ちいいだろうから。自尊心は高いが自己愛低い頭のいい人には有効じゃないでしょうか。
という物語。
Sence of Nonsence(無意味の意味について)
「それでは伺いましょう。意味があることに
どんな意味があるのです?
得があることや、救いがあることや、根拠のあることは、
損をすることや救われないことや
無根拠なことより勝っていると云うのですか?
そんなことはないでしょう。
だからあなたに兎や角云われる筋合いはない」
( 京極夏彦『塗仏の宴 宴の始末』 京極堂 中禅寺秋彦)
斜線部引用、太字部筆者
引用部しか読んでないので、本とは関係ない。本当は関係ある。太字部の だからあなたに兎や角云われる筋合いはない がつながっていないなぁと思うんであった。意味があることに意味があるのか、無意味と意味に差異はない、って言うんなら「あなた」に言う意味もないので「だからあなたに兎や角云う筋合いはない」が正確である。と思うんであるのよ。
[[怒られそうなことを敢えて言う]]
わたしは政治的に保守派ではないのだと思うんだけど、保守派の人が漢字や日本語の間違いをするとそれをあげつらったり、歴史とか知らないと馬鹿にされるのを見ると、ちょっと違うよなぁと思う。教えてあげたり、何かいい方法を考えたりと、ポジティブな方法はあると思うんだけどなぁ。
言葉至上主義、知性主義?ってやつにはどうしたらいいんだろう。「主義」「ism」「思想」自体が「言葉」で表すことだもんね。「運動」とかになるのかしら。ダイエットするための「運動」すら続かないのにそんな面倒くさそうなことは無理だなぁ。
ちょっと行ってくる
本当にやばいけど、ちょっと行ってくる。楽しいことをしようと思う。もっともっともっと楽しいことをしよう。